はじめまして、さやりんごと申します。
ブログをお読みくださり、ありがとうございます!
ここでは、どんな人がこのブログを書いているの?ということで、わたしがどんな人生を歩んできたかをお伝えしていきます。
とはいっても、そんなご大層な話ではないですが(笑)どんな人生があって、引き寄せの法則や脳科学、潜在意識に興味を持っていったのか。
読み進めながら、あなたの人生の物語とどこか重なるものがあったり、ヒントになればうれしいです。
幼少期~小学生(のびのび編)
幼少期~小学生までの間は、わりとのびのびと健やかに過ごしていた子どもでした。
3~4歳までの間は、父の仕事の関係でアメリカへ。
しばらく一人っ子のように過ごしましたが、小学生になってからは妹や弟が生まれました。
仲良し妹弟もいますが、わたしはあまり妹弟を可愛がることができないタイプでした。
年が離れていたこともあり、お姉ちゃんに逆らうのはゆるさん!とジャイアンばりに横暴な姉だったな~と思います。(大人になってからだいぶ反省した)
3人もいるとただでさえ、少ない(と勝手に思い込んでいた)親の愛情が分散されて少なくなっちゃう!と危機感を感じたのを覚えています。
ちょっと、人一倍愛情を求めるタイプだった片鱗がすでに見え隠れしていたんですよね。
のちにこの性質をめちゃくちゃ拗らせていくことになります。
父親は仕事で忙しくほとんど家におらず、たまに帰ってくる感じでした。
いると楽しいけど亭主関白で家長の言うことは絶対の父。
父が家にいると自由にできず、だんだんあまり帰ってきて欲しくないな~と思うようになり、気づくと近しい他人みたいな距離感になっていました。
母親は専業主婦で、愚痴も一切言わずなんでもやってくれていました。
しかしワンオペで3人も育てていたので、あまり話を聞いてくれない印象があったんです。(今なら分かるけど、当時母は超大変だったはず。)
いつもなんでわたしの話聞いてくれないの!?わたしに興味ないの!?と思ってました。
わたし自身もあまり自分の話をするのが得意ではなかったので、無口な母と相乗効果で、よりコミュニケーションがうまくとれなかったのです。
小さなこれらの積み重ねが、後々の思い込みの伏線になっていくのでした。
とはいえ、深刻な家庭問題などはありませんでした。
わたしの家の教育も自由に好きなようにしなさいが基本。
習い事もいろいろさせてもらえたし、季節の行事はきちんとやってもらい、手作りのおやつが出て、不自由もなく友達とものびのび自由に遊んで、今思うと恵まれた環境だったと思います。
中学校~高校(暗黒期突入編)
さて、そんな小学校生活ですが6年生になった頃、暗雲が立ち込めるようになりました。父が
仕事を辞めて起業して自分のお店を出す。
と、言い出したのです。子ども3人抱えての起業。
今の時代よりも20年以上前の起業というのはなかなかハードで、ある意味すごい決断です。
さらには住み慣れた東京ではなく、母の実家のある関西に引っ越してお店をやるという話でした。
ただ今でこそ、すごいことに挑戦した父を尊敬していますが、当時の私にとっては迷惑の極み以外の何ものでもありませんでした。
子どもながらに不安しかなかったよね。
なにせ、これから中学生になる私としては、友達もいない土地に引っ越ししないといけない上に、父親が仕事をやめてしばらくは家にずっといたのです。
今までいなかった人が急に毎日家にいて、先行きも不明ってハッキリ言ってストレス以外のなにものでもありません。
親なんだからずっと家族のために働くのが当たり前じゃないの?家族がいるのに好き勝手しないでよ。路頭に迷って学校行けなくなったらどうするの!?
と血も涙もない感じで、父の行動を呪ってました(笑)
そんなこんなで急速に父親との関係は悪くなるし、一切反対もしない母に、あなたが父に言わないでどうするよ!と憤りながら、わたし一人悶々として、結局中学入るのと同時に大阪へ引っ越すことになりました。
このとき、世の中ってどうしようもないこともあるんだな~早く自分の力でなんとかできるようにしたい、としみじみ思った気がします。
これも無力感や、自分でなんでもやらないといけないという思い込みになってました。子どもの頃の体験っていろんな思い込みをつくっちゃうよね。
中学生暗黒日記
思春期に、誰も友達がいない慣れない土地に住む。
しかも強烈に文化が違う東京→関西への引っ越しは、子どもにとってはリアルに死活問題です。
集団というものは、負の方向へいくと異物を排除したがる性質も持っています。言葉が違うだけで、もはや戦々恐々でした。
とくに思春期という魔の時期、自我の芽生えの時期に、言葉の壁やら文化の壁にぶつかったわたしは、もともとの内向性もあり、コミュニケーションがうまく取れずいじめられました。
おもにいじめられたのは男子にだったのですが、うーん、なかなか強烈でした。
わたしの場合は言葉のいじめでしたが、とてもつらかった。
毎日、そのいじめっ子たちに見つからないよう存在を消して、息を殺すよう存在を潜めるような日々を過ごしていました。
いじめのストレスによって体重も増え、152cmくらいで65キロにもなってしまったのです。
見知らぬ人から通りがかりに「デブ」と言われたことも、、、、。
通りすがりで言うとか思い返すとひどすぎる!!トラウマなるよ~
でも、それくらい自分のことも嫌いで卑屈になり、自己受容も自己肯定も最低レベルになっていたように思います。
そういう強烈な自己否定感が、きっとそういう見ず知らずの人からの暴言も呼び寄せてしまったのですね。
自己肯定感や自己受容の大切さはこちらのブログ読んでみてね
あと小学生の頃はほんとに何にも考えていなかったのですが(笑)この頃から急速に「エゴ」が発達していったのを感覚として覚えています。
自分の心を守るにはどうしたらいいか
・もし○○と言われたら、こうやって返そう
・もしこんなことが起こったら、こうしようと事前に対処しよう
・最悪の状況をイメージして、実際に起きた時は平気でいられるように慣れとこう
・本音と建て前、頭の中でどう思っていたって伝わらないんだからと表面だけいい人の振りしたり。。。
すごく頭を使うようになって、心がどんどん冷えて頭と心が切り離されていく感覚がはっきりわかりました。
こ、こわい!今ならそれ絶対やらない方がいいよ!!って教えてあげられるのにな~って思います。
でもこの時はこの時で一生懸命自分の心を守ろうとしていたんですよね。
ただ、わたしの時代は学校を休んで行けなくなったら、人生終わるくらいの感覚だったので(今の時代ほど選択肢の自由がなかったんですよね)なにがなんでも学校を休むわけにはいかない!と思ってました。
また家も父の起業で毎日とてもピリピリしていて、母もその手伝いで付きっきりなので、いじめのことは一切話しができず。
家でも学校でも居場所がないっていう感覚は、かなりしんどい体験です。
ちょっと自分で自分の身体を痛めつけるくらいには病んでました。
ちなみに、わたしは小学生の頃から目に見えないもの、スピリチュアルなことには、人一倍興味があり、そういう目に見えない存在を、みたことはなくても当たり前に信じていました。
なので、中学生の頃からスピリチュアルな本も読み始め、当時(もう20年以上前ですが)から、「神との対話」「バシャール」「アミ、小さな宇宙人」などを読んでいたおませな子どもでした。
読んでいても意味はよく分かっていませんでしたが(笑)
続、高校生暗黒日記
わたし自身がおそらくコミュニケーションの取り方が上手じゃなかったのか、高校生になっても学校でも家族間でも居場所がない感覚がずっと続いていました。
そして高校生と言えば、青春!ですが、あの頃青春はなかったです。
安室ちゃんやギャル全盛期のY2Kのど真ん中世代でしたが、ポケベルもルーズソックスも一度も履いたことないし、友達あんまりいないし、当然恋愛なんてあるはずもなく、思い出してもただただ薄暗い(笑)
家族との関係もしんどく、思春期なんてどこもそんなものかもしれませんが、父親との関係がとにかく悪かったです。
父もお店のストレスで、すぐ怒鳴るし威張り散らすし、手こそ出ないものの家の雰囲気はいつも重苦しく、当時は本当に嫌いでずっとどこかに逃げたいと思っていました。
今思うと、自分でお店をつくって家族を養うプレッシャーは相当だったと思うのですが、当時はそんなことを考える余裕はありませんし、その大変さはわからなかったんですよね。
母も文句を言わず手伝うものの、あきらかに夫婦関係が悪くなっているのは傍目からも見て取れました。
わたしはもっと自分を見て欲しくて構ってほしくて(しかしちゃんと表現できず)クレクレちゃんを拗らせていき、父、母、妹、弟が団らんする仲に入れなくなっていきました。
自分からうまく関われないから、すべて相手からしてくれることを望んでいて、そのくせ「わたしのことなど誰も何も分かってはくれない」と疎外感と孤独感をどっぷりと深めていってたなあ、と。
これは今から思うと、私自身にもめちゃくちゃ原因があるのですが、当時はずっと被害者意識でひたすら溝を深めちゃいました。
学校にもあまり友達はいないし、相変わらずおデブちゃんなままで自分のことを心底嫌いでしたし。
家ではそんな感じで居場所がないので、とにかく時間があれば、本や音楽に逃避するか大学に行くために勉強していました。
大学生~大人編(ちょっとひと休憩)
大学生になり、中高よりは自由度が高まったことと部活に入ったことで、だいぶ楽になってきました。
相変わらずのコミュ障ではありましたが、へんてこなわたしを受け入れてくれて、また周りもちょっとはみ出し者が集まっていて(笑)なんやかんや部活ばっかりやってました。(しかも何を思ったかガチの体育会部活)
楽しかったし、ここでいろいろ変わるきっかけをもらったので感謝だなあと思います。
ですが、ここでもまた新たな問題(?)が。
なんとそこそこの有名大学へ行っていたのに、就職浪人したのです。
今ならネットなり就職課行くなり手だてなんかいくらでもあったんですが、、、、。
勉強の仕方は分かるのに、社会に出るためのルールもよく分からないし、なにをどうしたらいいのか、本当に分からなかったんですよね。
とてもじゃないけれど社会に出て生きていける気がしない。。。。
そんなこんなで、気がつくと就職浪人になり、どうしていいかよく分からないまま、当時お付き合いしていた元だんなさんとまさに逃げるように結婚しました。
スピリチュアル的な面でいうと、大学生あたりで(19歳くらい)レイキヒーリングや別のヒーリングを習いに行ってました。
20年前あたりは、スピリチュアルは胡散臭い、やばい!と思われていて、今のようなウエルカムな雰囲気は皆無だった時代です。
わたし以外にスピリチュアルにハマっている人は、ほぼ40代とか年齢がうえの方々ばかりでした(笑)
なので周りにも家族にもだまってひっそりとやってました。
結婚生活編(ほんとにうちの家族がすみませんでした!編)
結婚生活は一言で言うと、元だんなさんは、めちゃくちゃいい人で、なぜかわたしはかなり大切にされ愛されていました。
しかも元旦那さんも新入社員2.3年目くらいで結婚したのに、わたしは専業主婦させてもらっていた。(今思うと驚愕)
結婚を機に、家を出れたのも関西から出れたのも安堵したのを覚えています。とにかく離れたかった。
ただ早すぎた結婚で社会人を一切経験していないことに、周りのみんなは社会人として働いてキラキラしている様子に取り残され感も半端なかったです。
そして、家族の問題は家を出たのにも関わらず、相変わらずつきまとってきいました。
わたしが家を出ている間に、実家の家族間は当たり前のように上手くいかなくなっていたのですが(というより、父が孤立していった)とうとう自己破産しました。
わたしは、家を出たことによって、家族と距離が空き、家族との関わりが以前よりは上手くできるようになったのですが、今度は経済状況をめぐり、実家と祖母が対立し始めたのです。というか縁を切る状態になっていました。
そして気づくと私はその間に入って、中立な立場として板挟みになってました。
家族のことも祖母のことも心配で、心を痛めていたところにさらに衝撃的事件が起こります。
近親者の自殺です。
パニックになった祖母から連絡がわたしに来て、警察へ連絡、遺体の確認など一緒に済ませ、その後わたしから実家に連絡。
気まずいながらも父と祖母が葬儀を行い、近親者の遺書に「家族仲良くして欲しい」というようなことが書かれており、父と祖母は最終的に和解したのでした。
しかし、それまで父や家族との関係、父と祖母との関係、心配で右往左往していた自分自身やほとほと醜い家族の争いにも、こんなことがないと和解も出来ないのかと心底嫌気が差して、家族とはもう距離を置こう、と決めた瞬間でもありました。
父も祖母も家族ももう勝手にして!もう関わらん!!と思ってました。薄暗すぎてごめんなさい笑
そしてこの頃わたしも、全然知られてない胡散臭げなヒーリングにハマっていましたね。。。
もうほんと、振り返れば自分が創っていた世界ではありますが、いろいろとしっちゃかめっちゃかでしたね~(自業自得過ぎてつらたん)
結局これもわたしが創ったんだな~と今なら思える理由はこちらから!
試される大地北海道編
さて、そんなこんながあった後、わたしは元だんなさんの転勤で北海道に住むことになりました。
この北海道が大きな転機となり、ここで元だんなさんと離婚することに。ちなみに詳しいことは省きますが原因の9.9割はわたしでしたが、一応円満にお別れしました。
北海道でのわたしの状態はというと
・家族、親戚は誰もおらず、友達もほとんどいない
・北海道の冬と雪に精神的にやられる(暖房代が高すぎて激寒の冬にこたつとかで凌いでました)
・家族とは1年に一度お正月にこちらからメールで連絡するやりとりのみ。さみしすぎて辛い→自分がもう関わらない!と決めたことは綺麗に忘れて、離婚して娘が一人で見知らぬ土地で生きているのに、心配もしてくれないのか、とより自分を悲劇のヒロインにしていました笑
・社会人として働いたことなかったけど、急に働くことに。アルバイト掛け持ちから。貯金を切り崩す日々。
・好きな人ができるも、好きすぎて毎日苦しい。そしてここから8年近く片思いをするという目も当てられない状態へ
とりあえず、よくウツにならんかったなと思うのですが、ウツになって動けなくなったら死ぬな~って思ってたんですよね。
今死んだらしばらく気づかれない孤独死を20代でリアルにしかねなかった状態だったので、正直病んでる場合じゃなかったというか。
家族に助けを求めたらちゃんと助けてくれたはずなのですが、その時のわたしは愛されてないって思い込んでいたもんだから、助けてもらえないだろうと、自ら助けを求めなかったのです。
孤独ほど、脳の働きを悪くするものはない。本来ならあるものをまったく見えなくさせる。可能性を塞ぐ思い込みって本当に怖いもの。
そして、ある時、そんな感じで中高から大人になってまで暗くて八方塞がりな人生に、本気で嫌になった時がやってきました。
で、思ったのです。なんか、わたしの人生おかしくないか、と。
ありがたいことに絶望ではなく逆ギレする方に振り切りました。土壇場の底意地(笑)
で、なにがおかしいのか、といえば「自分がおかしいのだ」と気づいたのです。
というのも、それまでずーっとなぜか根拠なく自分の考えは正しいと思い込み、新しい考えや周りの考えを受け入れず、そのわりにスピリチュアルとか習っていても一向に人生が変わらない。
自分の狭い考えに固執し続けたその結果がしょうもない人生なら、むしろ間違ってるのは自分じゃないのか?と。
もう全部捨てよう、わたしの考えとかもうどーでもいいから、今からあらゆる本を読んで実行しよう、行動しようと思ったのです。
ある意味、どん底にたどり着いたので、浮上するしかないってなったんですね。
なので、今までの自分がやってきたことは全部捨てて、やってこなかったことやろう、と決めました。
まさに過去の自分との決別です。
そこから、もうとにかく自己啓発とか、運がよくなる本とかめちゃくちゃ買いまくって、即実践しまくりました。
断捨離もしたし、親との関わりも自分から連絡し始めたり、いろいろやっていくうちに、あれよあれよと、父親と住むことになり、東京に戻れる流れになりました。(これはほんとびっくりした!)
でも、この大きな転換点のおかげで
とても大切なことに気づけたので、ありがたいなと思います。ちなみにこの時期あたりはスピリチュアルなんざクソくらえ、ってなってました笑
30代 アップダウンやら迷走やら
さて、東京に戻り紆余曲折あって、父と住むことになったわたし。おかげさまで30代で初めて、正社員にもなることができました。
とはいえ、30代に入ってからは大きく3つの変化(関門)の流れがありました。
1.家族との変化
2.仕事の変化
3.恋愛の変化
1.家族との変化
長らくいろいろあった家族ですが、30代にようやっと落ち着きました。
もちろん、あれだけいろいろあった家族といきなり変わったわけではないのですが、まずは一緒に住み始めた父親との変化がありました。
数年間離れていたうえに、いきなり一緒に暮らし始めた父親とはものすごい大バトルしましたね~
わたし自身、養われるのではなく共同生活者となったことで、家賃も光熱費も同じように払っているのに偉そうにされる筋合いはない!と本気でぶつかれるようになっていたんですよね。
もう同じ立場なんだから、黙ってないぞ!という感じで、遅れてきた反抗期のように怒鳴ったり罵りあいました。
それまで大声で人を罵るなんてしたことなかったからね!笑
でも、これが案外よかったんです。ここまで振り切ったことで
という両極端なことに気づけたんですよね。
とくに「親を嫌って憎んでもいい、縁を切って不幸になるということはない、大丈夫。本当にダメだと思ったら肉親でも縁を切って離れることを自分に許す。」
とそんな自分を許した瞬間の、ほっとした感覚は忘れられません。
まさに、これです。
ある日、わたしは「あなたとは縁を切る」というつもりで、酷い手紙を書いて父に渡しました。
でも、父はそれを読んでもなにも文句をいわず受け取ったんですよね。
それを見たときに、そういえば中学のときも「あなたが怖くて嫌い」と書いた手紙を渡して、それを怒らず受け取った父を思い出したのです。
その時、あ~なんだかんだいって、こんなひどいことをいう娘でも、最終的には受け入れてくれるんだなあ、と怒りの気持ちが少しゆるみました。
同時に、そういえば今までどんだけ威張っていても、絶対にわたしの決めたことには反対しなかったな、と気づいたのです。
絶対にわたしが自分で決めたことは、どんなことでも自由にさせて尊重してくれていたのです。
これは自由を求めるわたしにとってはこれ以上ない愛情表現。
そこに気づけた瞬間から、見えていなかったものがどんどん見え始めてきました。
そう、ひどいこともいっぱいあったけど、同じかそれ以上に与えてくれた愛もあったのです。
でもわたしがそれを全く見ようとしてなかった。その情報だけを見事にとりこぼしていた。
そこからいろいろあり、また離れて住むようになり少し距離ができて関われるようになりました。
その後は父親が大病患ったりでいろいろあったことを経て(も~いろいろありすぎ!笑)今では、とっても大切な家族であり、尊敬する父ですと言えるようになっています。
また母とも、わたしの方から積極的に誕生日にプレゼントしたり、母の日にプレゼントしたり手紙を送って、帰省した際にはゆっくり話すことで、ようやく距離が近づいていきました。
前は実家に帰るたびに母と二人っきりになると緊張しちゃってたんですよ。でも今では2人でも出かけられるようにもなりました。
母に関しては、ほんとうに自分のことを話さないので、まったく分からなかったのですが、母は母であまり人との距離の取り方が上手じゃなかっただけだったんですよね。
愛情もあり、一生懸命子育てもしてくれていましたが、「わたしが求める分かりやすい言葉や行動での愛情表現」ではなかったので、やはりわたしが愛されていることに気づけずに取りこぼしていただけなのでした。
わたしはいつもクレクレちゃんでした。
親なんだから親の方から愛情表現をしてくれるのは、あたり前、与えてくれるのは当たり前だろうと勘違いしていたのです。
その意識に気づきやめたのが、本当に良かったなあと感じています。
でも、これは本当にわたしがラッキーで、ちゃんと私の起こしたアクションを受け取ってくれて、返してくれたのも大きかったんですよね。(5年くらいかけたけど笑)
おかげさまで、今は両親との関係はとてもよく、心から大切だし、この家族でよかったなあと思えています。これだけでも相当の奇跡です。
これは、すべての人に当てはまることではないので、わたしの場合はそんな気づきが必要だったんだなということだと思います。
・愛は目に見えないので、それに気づける、受け取れる感度も大事。同時にできれば言葉や態度で相手にとって分かりやすい方法で伝えることも大事。(自分と相手の欲しいかたちが異なることがあるため)
・家族だから、身近な人だから何も言わなくともわかってくれるだろう、は危険。エスパーじゃないのだから。
・親だから子だから当たり前、とかはない。愛を与えるのはまず自分から。くれくれちゃんは永遠に満たされない。
・とはいえ、人として危険な人もいるので、そういう場合は離れるのも大事。そんな自分を責めないで受け入れるのも愛。全部が気づき、魂の成長。
2.仕事編
仕事は30代にして、はじめて正社員になれました。就職浪人→1年間しか続かないアルバイト生活からの大きな変化です。偉いよ、わたし!笑
とはいえ、もちろん最初からトントン拍子とはいかず、一番初めに正社員で入った会社ではパワハラ受けて病んでました←
最初の会社は家族経営の会社だったので、他人の家族のなかに入っていくような感じで、すごくきつかったです。
わたし自身も社会人としての常識やあり方が身についてませんでしたが、社長も接待で寝ていてパンツいっちょで起きてくるような人でした。
とにかく普通の会社ではないw 引き寄せた私自身もたいがい常識なかったけども!
セクハラとかそういう感じでもなくて、家族経営で会社もマンションの一角だったので、家と同じ感覚だったんでしょう。
上司のお母さんは世間話をずっとしてくるし、すぐ賭け事するし、なんというかとにかく距離感と家族感の感じが馴染めずに、それが態度に出ていたので嫌われました。
わたしも仕事がちゃんとできず、コミュニケーションも上手く取れず、カオスな環境で、ストレスフルでこの時が多分一番ウツっぽくなってたな~と思います。
でもボーナスもぎとって、1年で辞めて転職してからは、おかげさまで現在は正社員として8年目を迎えて、仕事もびっくりするくらいストレスフリー、人間関係もストレスフリーで過ごしています。
あと、会社員とは別に好きな仕事をいろいろして、毎日ハッピーです♡
仕事もだけど周りの人がもはや素敵な人しかいないのです♪
3.恋愛編
30代で一番メンタルやられていたのは、たぶん恋愛だったな~と思います。とにかくどの恋愛も上手くいかない笑 びっくりするくらいうまくいかない。
でも今思えば、わたしのなかに不要な思い込みやら考え方が山ほどあったので、当然と言えば当然でした笑
でも、この馬鹿みたいにうまくいかない恋愛でのつまづきが、今のわたしをつくってくれたのです。
それは次でお伝えしますね。
30代での方向転換
さきほど、恋愛でのつまづきが今のわたしをつくってくれたとお伝えしました。
1度目の大きなつまづきは、北海道編で書いた8年に及ぶ不毛な片思いからでした。
内容の詳細は省きますが、もう絶対に相手を見返してやる!!!絶対に運のいい女になってやる~~!!!こんちくしょうめ!と思ったことがありました笑
このときは、1.2か月ほど不眠やら食欲なくすやらはしたのですが、ショックというより怒りが湧いてきて、相手がめちゃくちゃ後悔するくらい運がいい女になる!と決めました。
で、そのときにやはり片っ端から「運がよくなる方法」を取り入れて、実践してみたらみるみる運がよくなってびっくりしました。
わたしがこの時やったのは徳積、陰徳、宇宙銀行に運を貯めるという方法。とにかく「人に与える」「喜ばれることをする」「いいことをする」を実践しまくったら、まず自分が変わった。
斎藤一人さんも参考にしてたので、オシャレもして見た目も気を使い、言葉の使い方も変えて、毎日水場も、トイレ掃除も、部屋も掃除しまくって、とにかくやれることはやった。
そしたらめちゃくちゃいい人になれたので(笑)そんな自分が好きになったんです。
そしたらだんだんモテだして、ご縁も変わって社交的になって友達かなり増えて、入ってくる情報も変わり、お金も入ってきだして、なぜか億万長者のメンターとも出会えて、とにかくあらゆることが変わりました。
まさに望んだとおりの強運な女になってました。
たぶんコミュニケーション力が一番変わりました。
どんな風にしたら人に好かれるか、人にどう見られたらいいのかがよ~く理解できたのです。
(あんなコミュ障でも変われた奇跡!笑)
これは、実は脳科学からも仕組みを説明できるのですが、当時はよく分からず、とにかくあらゆることが変化したので、徳積みすごい!となってました。
しかし、あるときから、あまりにいい事が起き続けるので怖くなってきました。
ホメオスタシスあるある
ふと「いつまでこれを続けないといけないのだろう?本当のわたしは何を望んでいるのだろう?やりたくなくてもやらないといけないんだろうか、、、自分に嘘をついていないか?」と思うようになったのです。
ここから迷走期の始まりでした。
ほんとうの自分って?という迷走
一度、自分のあり方に疑問をもったからには、もう続けることができず、やってきた徳積を一気にやめました。
極端がすぎるよね。
そして、ここから、あらゆる情報を集めていきだし、同時にスピリチュアルも徐々に復活していきました。
やっぱり根本では、スピリチュアルなことは自分にとっては、もう無条件に好きだったし当たり前のものだったんですよね。
以前は依存的な使い方をしていましたが、今の自分は行動とともに、ちゃんとちょうどよいバランスで扱える、という自信もついたのもありました。
ということで、ここから「自愛」「引き寄せの法則」「自分原因」「量子力学」「素粒子」「エネルギー」「男性性・女性性」「潜在意識」「波動」などなどあらゆる情報を受け入れていったのです。
そして情報の多さに大いに混乱していきましたw
とくに、「自分を愛する」「自分らしく生きる」を勘違いしていたので、わがままいっぱいになってみたり自分の欲望を優先させていきました。
するとただの嫌な奴になり、自分のことがまたしても嫌いになったりして、確固たる自分軸がない状態はとっても不安定だったのを覚えています。
「言っていることが、こっちとあっちでは違う。」「意味が分からん。」「え?結局どういうこと?どうしたらいいの??」みたいなことで、わからなすぎる~~~~!!!と3年くらい費やしてましたね。
圧倒的な止まらないネガティブを体験
そんなこんなで、そこそこいろいろな知識や情報を入れこみつつ、なんとな~く以前よりは、安心・安全・幸せになっていたわたしですが、またもや恋愛で目が覚めるようなことがあったのです。
この時は、なんというか「エセポジティブ」続けてたら、しっぺ返しがきた、みたいな感じでした。
きっかけは、振られたことが原因だったのですが、それはあくまできっかけに過ぎず、自分でも不思議なくらいものすごくドロドロとした制御不能なネガティブな感情に、半年間くらい支配されたのでした。
今まで大変だったのがやっと上向きになってきたと思えたのに、まだこんなことあるの!?と天をも呪いそうになりました笑
ちょっと今までとは種類の違う感覚で、つらい経験なら他の体験の方がよっぽどつらかったはずなのに、今回は違うレベルで本当に死にそうでした。
その時に実践したネガティブの乗り越え方はこちら
この時は、自分でもなんでこんなことで、ネガティブな気持ちが止まらないんだろう?と不思議でした。
今思うと、それはエセポジティブでいい人を演じ続けてたツケが一気に回ったのかもしれません。
つまり、いろんな知識や情報を身につけたことで、中途半端にポジティブになっていたんですね。
しかしネガティブな感情、どろどろとした自分を無視して押さえつけていたので、その反動が一気に「振られる」ということをきっかけに、制御不能なほど溢れだしたのです。
それで、今までの対応ではまずいかも!ということで、やはりここでもこのネガティブな感情をなんとかすべく、ネットで探究し始めました。
このときに出会ったのが、「鏡の法則」と「目醒め」「統合」でした。これらこそ、今のわたしを形づくる大きなキーワードだったのです。
引き寄せの法則との再会
失恋きっかけの大きなネガティブ噴出を経て、「鏡の法則」と「目醒め」「統合」と出会い、わたし自身だいぶ助けられていきました。
一番大きかったのは、自分を愛するということがどういうことかようやくわかったことでした。
そして、すべては自分が創造していたんだ、自分の心が映し出されていたんだ、ということが心底理解できました。
今までの人生がどうしてこうなっていたのかを、腑に落とせる大きな気づきとなったのです。
そりゃそうなるわ、って(笑)
でも、それでもまだ大事なピースが足りないような、軸となる部分が定まっていないな~という感覚はずっとありました。
いろいろ断片的な知識や情報はあるんだけど大きな全体像が見えてこない、といえばいいのか。
そんなことを思いながら、相変わらずいろいろな本を読んだりブログを見ている時に、ある日唐突に「源(ソース)」だ!!!!!!!!!!
という閃きが起きたのです。
なんのこっちゃっていう感じかもですが、まさに閃いた、という感じ。
説明が難しいのですが、今まで仕入れてきた情報や知識は、すべて「源(ソース)」と繋がっていたのか、あらゆることは、ただただそれについて伝えていたのか、表現が違うだけですべてそこに繋がるのか!!!
ってなったのでした。
で、そういえば引き寄せの法則って「源(ソース)」について、めちゃくちゃ分かりやすく説明してたよね?と思い出して、もう一度本を引っ張り出してから、もうあらゆることが腑に落ちまくり、繋がりまくりました。
そこからは、おかげさまで「引き寄せの法則」エイブラハムの教えを軸として楽しんで実践するスタイルが確立したのです。
よし、ひっくり返そう。わたしたちの新しい物語を始める。
というわけで、なんだか10代~30代の間は、いろいろとあってよく頑張ってきたね~な人生だったように思います。
振り返ると世の中の人の大きな悩みをわりとコンプリートしてきたような笑
でも、そのおかげで、たくさんの知恵を手に入れ、何があっても大丈夫、いくらでも変えていけるというマインドを手に入れられました。
このマインドを持てたのは本当に宝物!!
そして、今は、自分らしく毎日ハッピーにありがたく過ごしています♪
わたしの物語に共感して下さった方々もいれば、わたしの方がもっと大変だったという方、特になんもなく順調だったという方、いろいろかなと思います。
みんなそれぞれ自分の物語があるから、同じじゃなくて全然いいんですよね。
どれもが魂の成長につながる貴重な体験なのだから。
そして、わたし自身様々な体験を経て、今までとは全く違う人生を歩みたくなりました。それは
エイブラハムの引き寄せの法則を主軸に、今度は意図的に望むことを創造し体験する人生を歩むこと
いままでは、問題をつくってはなんとかする人生でしたが(笑)それはもうお腹いっぱい。
今度は、こうしたい、こうありたいを楽しんで創造して体験して味わう人生にすると決めたのです。
そのための道具もいっぱい集めたし、使いこなして遊んでいきたいな~と。
でもやっぱり1人で遊んでもつまらないよね。
だから、一緒に同じような意識で遊んでくれる仲間もつくりたいと思っています。
そんな想いがあります。
わたしも歩き出したばかりですが、これからの新しい地球と、新しい時代に一緒に生きる仲間たちと、まったく新しい物語を一緒に共同創造していけたらとっても楽しいはず!
そのためにもこのブログがお役に立てれば幸いです。
こうして出会って下さりありがとうございますね。そしてこれからますますよろしくお願いします!
あと最近は情報空間の書き換えにめっちゃハマったので、それをメインに発信していくかもですw(2023)
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わたしの普段を知れるブログはこちら(アメブロ サムネイルが出ない><)